医療職が言う「困難な事例」を保健師と連携
現在、関わらせていただいている医療処置が必要なご利用者様。
事前に医療ソーシャルワーカーから電話である程度の情報収集をさせていただきました。
医師の指示書をいただくため、病院に足を運び、再度お話を伺うと、医療関係者は利用者様と十数年の関わりで、バックグラウンドを考慮し、本当に尽力されていました。
今回のケースは「困難な事例」という説明だったのですが、私は「困難」という言葉で一括りにすることに、とても違和感を感じるのです。
確かにレアケースであることは理解できますが、『意思表示を明確に持っている方』と私は認識しました。つまり、「こうしたい、あれをしたい、これは嫌だ、これなら良い」とご自分で選択し、決定されるのです。私はご自分の気持ちを曲げることなく、過ごしておられる利用者様に生きるエネルギーを感じました。
医療職が「困難な患者」という色眼鏡で関わると当然のことですが、患者さんは敏感に感じ取り、信頼関係を築くことは難しくなることは容易に想像ができます。
処置をしながら他愛のない会話し、利用者様が歩んで来られた人生はいったいどのようなものだったのか?何を思い、何を感じ、何を大切にしてこられたのか?を想像したり、時に深い部分まで質問をし、じっくりと話をすると本音を吐露してくださいました。
すると、分かって来たのは「今というこの時間を大切にして生きたい!」と思われていること。そして、医療者・介護者の言葉や対応に傷つき、寂しさ、怒りや憤り、孤独感を感じておられました。医療者・介護関係者と利用者様の間に『認識のズレ』が生じていて、今ではあきらめていることが伝わってきます。
現在ケアマネジャーとの契約されていないため、生じてしまった「ズレ」が修正できなくなる前に、ご本人の許可を得て、地域包括支援センターの保健師と連携することになりました。
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